※この文章は、北海道医師会の広報誌である『北海道医報』に掲載された文章を加筆修正したものです。
日本サウナの近現代史
(1)第一次サウナブーム
時は1964年、前回の東京オリンピックにさかのぼる。サウナ発祥の地フィンランドの選手団が選手村にサウナを持ち込んだのが第1次サウナブームの始まりである。フィンランド式サウナは80℃前後の低温でサウナストーブ上に置かれたサウナストーンに水やアロマ水をかける“ロウリュ”により室内の湿度を一気に高め体感温度を上げる仕組みである。ちなみに、体感温度が上がる仕組みは、気体である水蒸気が体に接触し、液体となる時に発生する凝縮熱のためである。
当時のサウナ業界はなぜかロウリュを採用せず、日本独自の“カラカラ高温サウナ”が全国に広まり定着してしまった。結果的に日本式サウナにハマる確率は低く、「先客」より1秒でも長くサウナ室に留まれば勝者という自己満足のサウナ・プライドをかけて競うバーチャル闘技場として、一部マニアと共に細々と生きながらえた。
(2)第二次サウナブーム
バブル経済がはじけ景気低迷にあえぎ、デベロッパー(土地開発業者)は次なる集客業態を求めていた。そこに現れた救世主は1990年代から起こった「健康ランドブーム」である。温浴施設建設ラッシュが起こり、大浴場に寄生する形でサウナは密かに息を吹き返したが、カラカラ高温サウナからは脱却できず、主役の座を射止めることはなかった。